筆者
⾏政システム総研 顧問
榎並 利博(えなみ としひろ)
いまだにマイナ保険証に対する抵抗がくすぶっている。今のままで不自由ないのになぜマイナ保険証に切り替える必要があるのかと。メリットを提示したところで、今のままで十分だ、保険証に戻せと抵抗される。もちろんデメリットの解消が必要だが、それでも根強い抵抗は続くだろう。人は何に抵抗しているのだろうか。
新人の頃、自社製品のワープロ(すでに死語となったワードプロセッサの略)が職場に導入された。使い方を知っていたのは新人研修で操作を覚えた新人たち。しかし、早速使うと先輩から怒られた。手で書いたほうが速いのになぜ機械を使うのかと。定型的な文書は雛形があるので圧倒的に速く、文字はきれいに印字され、筆圧が要る複写式用紙への記入も楽だ。しかし、メリットを挙げたところで聞く耳を持ってくれない。コンピュータ会社が自社製品を職場に導入するのでさえこのような状況だった。つまり、人間は慣れたことを変えるのが嫌なのだ。
これは自分自身でも経験がある。文書作成業務でOASYSというワープロからWordへと切り替えた時だった。業務命令なので従ったが、とても辛かった。指がワープロのキー位置を覚えているため、ついキーを間違えて押してしまう。そして罫線の概念がまったく異なるため、罫線を一本引くだけで四苦八苦した。もちろん今では文書はすべてWord、ワープロは絶滅し、手書きの文書などごく稀だ。つまり、「慣れる」までが大変なのだ。
電子申請などのオンライン手続きも同様だ。「慣れ」れば楽なのだが、「慣れる」ためには頻度が必要だ。毎週、毎月の処理であれば、オンライン操作を覚えて処理したほうが圧倒的に楽で速い。しかし、年に1回の処理となるとどうだろう。わざわざオンライン操作を覚えても次回には忘れている。それなら窓口へ行った方が楽だ。
社内の事務処理でも同じだ。旅費精算手続きは毎週行うため、オンライン操作を2~3回経験すれば慣れる。しかし、年に1回の海外出張となるとそうはいかない。レートの計算や機中泊で記号を入力するなど特殊な操作が多く、操作補助のために庶務スタッフの手伝いが必須だ。
さらに、行政の手続きとなると頻度だけでなく、難解な行政用語が問題となる。例えば、住民票のコンビニ交付などは簡単な操作で住民票を取得できる。しかし、交付種別(本人のみ、世帯全員、世帯の一部)や記載項目の有無(世帯主・続柄、本籍地・筆頭者、マイナンバー)について、自信をもって選択できる一般市民がどれくらいいるだろうか。
窓口であれば、行政用語を理解している職員が使用目的などを確認しながら適切な住民票を交付してくれる。うっかりマイナンバー記載の住民票を先方に提出したら受領拒否されたという事態も避けられる。人々が不安だからと窓口に出向くのはこのような背景がある。
このようにオンライン手続きは「デザインの良さ」や「わかりやすさ」だけでなく、操作や行政用語への「慣れ」の問題が大きく関係している。「慣れない」人に無理やり「慣れろ」と言ってもそれは難しい。なかには電子機器に拒否反応を示す市民もいるだろう。しかし、そうは言っても人手は不足し、窓口対応の省力化は必至だ。では、どうするか。
行政用語を普通の言葉でわかりやすく説明し、オンラインの操作方法を教えてくれる、このようなAIエージェントが登場すれば事態は打開できるかもしれない。オンライン操作で市民が不安を感じたり迷ったりしている場合、それを察知して庶務スタッフのように助言したり操作を手伝ってくれるようなAIエージェントが理想だ。それでもデジタルは嫌だと言う市民には、最後の手段として生身の人間を用意しておこう。