筆者
⾏政システム総研 顧問
榎並 利博(えなみ としひろ)
年初に当たり、これまでの40数年に及ぶ自治体やシステム開発の現場経験を踏まえ、少々大胆な提案をしてみたい。まず前提として、我が国を国家として成り立たせ、国民が不自由なく生活を営み、社会が円滑に活動していくための基盤として、憲法を基底とする様々な法制度が存在することに異論はないだろう。
それに基づいて国、都道府県、市区町村といった行政機関が事務を執行していくのだが、近年その仕組みが根底から大きく変化している。行政における事務は紙と筆から1960年代にコンピュータ処理へと変わっていくが、当初は給与や税金などの計算処理に使われただけだった。その後80年代に入ると漢字が扱えるようになって住民基本台帳の事務がシステム化され、そこから基幹系と言われる業務システムへと拡大していった。つまり、法制度の執行にあたって、事務処理系はコンピュータシステム無くして運用できないのが現代社会なのだ。
2024年10月、政府が給付金支給を検討していることについて、千葉県の熊谷知事が「市町村職員に多大な負荷をかけるのは止めてほしい」、「国の都合で何度も配りたいなら、市町村から住民データを集めて国で一元的に実行すべき」と怒りを表明した。これに対して職員からは、「全市町村職員の気持ちを代弁してくれている」と賛意が集まった。
問題は「国税庁では低所得者の情報を持っていない」ことにある。しかし、市町村では住民の情報を持っているものの、低所得者の所得などをすべて把握しているわけではないため、情報の収集や確認を人海戦術に頼らざるを得ない。リーマンショック時の定額給付金でも、所得制限が難しいという理由で全国民に給付が行われ、しかも800億円以上の事務経費がかかった。この時「給付付き税額控除」を導入すべきという世論が起こり、それがマイナンバー実現への一つの契機となった。
給付付き税額控除とは納税額が少なくて減税できない場合には給付するという仕組みで、番号制度が普及している国では、低所得勤労者の支援、児童扶養者の支援、消費税逆進性対策などの施策で活用されている。日本ではマイナンバーの実現とともに導入する計画であったが、自民党政権への交代によってうやむやにされてしまった。
給付付き税額控除を実現するためには、国税庁で国民すべての所得を把握していることが前提となる。そうなると国民がすべて確定申告をすべきという話になり、マスコミが騒ぎ出すだろう。しかし、すでにマイナンバー制度が稼働しており、源泉徴収票や支払調書などの税務書類はマイナンバー付で国税庁に送られている。つまり、国税庁では国民すべての所得を把握している。これらの情報をマイナンバーで名寄せしてデータベース化すれば確定申告書の自動作成が可能であり、国税庁のポータルサイトにログインすると、自分の確定申告書がほぼ出来上がっている状態になる。
これが多くの諸外国で実施されている記入済申告書制度であり、国があらかじめ作成した申告書を自分で修正するだけで確定申告の手続きが済む。これなら全国民が確定申告することも難しくは無いだろう。そして国税庁では低所得者を含めすべての国民の情報が把握できるため、迅速に低所得者への給付が可能となる。これまで何度も指摘されながら迅速な給付の制度を作ろうとしない、自治体の怒りももっともだ。
このようにシステムを理解せずに勝手に法制度を作って実行すると、現場の事務に大きな負担と混乱が起きる。これは今に始まったことではない。ずいぶん前になるが、子どもの続柄表記を「長男・長女など→子」と変更したことがあった。嫡出子と非嫡出子で続柄表記が異なっていたため、表記による差別を無くすことが理由だ。
それなら住民票など帳票出力の際に「長男・長女など→子」とシステムで変更すれば良いことであった。しかし、台帳表記まで変更したため、現場では親権の確認のために戸籍まで辿るという無駄な事務を増やすことになってしまった。
さらに、外国人を住民基本台帳へ統合する法改正の際、担当者は外国人を別データベースで管理することを考えていた。システム的にいろいろと問題を引き起こすため変更を提案したが、あのまま進んでいたらマイナンバーのシステム構築にも大きな影響を与えただろう。
現在の法律や制度は、複雑なコンピュータシステムによって運用されており、目につかないところで日々データ修正やプログラム修正を行いながら実行しているのが現状である。それを理解せず、法律や制度を作って行政機関に命令すればそのまま動くと考えるのは間違いであるどころか危険な発想そのものである。
これからの社会を考える時、法律や制度の設計においては政治家、法律家や官僚だけに任せておいては大きな混乱を招く。行政系のシステム全体を把握し、現場の運用設計ができる技術者(システムエンジニア)が必須となる。それには新たな組織体制の整備や人材育成計画が必要だ。それが不可能だと言うならば、政府が言う「制度や組織の在り方等をデジタル化に合わせて変革」するDXなど画餅に帰すだけだ。